すみだの尾道ラーメン

幻となった尾道ラーメンのルーツ

今から90年ほど前の昭和3年頃、中国福建省出身の張さんが広島県尾道市の露店で、チャルメラを吹きながら「支那そば」を売っておりました。それが尾道ラーメンの始まりです。

青竹で麺を作り、スープは牛骨と豚骨からとった白濁スープだったそうです。現在「尾道ラーメン」のスープの多くは、鶏がら10割、もしくは鶏がら7割・豚骨3割の割合です。また、平子イワシなどの魚介類を加えるケースも多くなっています。さらに最近は、業務用の濃縮スープを使う店が多くなっています。

「すみだの尾道ラーメン」は、通常の尾道ラーメン店では作られていない幻の技法です。豚骨7割・牛骨3割でダシを取り、濃口醤油(本醸造)や出汁醤油、豚の背脂を加え炊き上げます。出来上がったスープを一口すすると、初めに豚骨の旨味を感じ、その後牛骨の甘味と深みが口全体に広がり、更に豚の背脂のコクが加わります。インスタントのものにはない、心を込めた手づくりの繊細な一杯です。特に牛骨をスープのダシに使っている尾道ラーメン店は少なく、昔の味を知っている方からは、懐かしい味と喜ばれております。

このほどご縁をいただき、すみだの尾道ラーメンは、夏には全国的な有名ラーメン店跡地へ引っ越しをいたしました。
更に令和元年10月16日には、伊勢神宮内宮へ御奉納させていただきました。

こだわりの素材

使用する牛骨は、冷涼な気候風土と綺麗な水に恵まれた神石高原町で飼育された希少種・神石牛のものです。塩は、瀬戸内海に浮かぶ弓削島でとれたミネラル豊富な「あまも塩」を使用しています。弓削島では古墳時代から海藻を使った「藻塩作り」が行われており(平安時代末期には「塩の荘園」として京都・東寺に納めていました)、その手法が現在も受け継がれています。

さらに瀬戸内で捕れた近海の珍味「でべら(タマガンゾウヒラメ)」や「ねぶと(テンジクダイ)」も贅沢に使用。隠し味には、福山市の歴史の宝庫「鞆の浦」へかつて黒船で日本にやってきたペリー提督も味わったという、「保命酒」(入江豊三郎商店)のみりんも入っております。

瀬戸内海のしまなみ・やまなみを繋いだ、まさに尾道らしい究極のラーメンといえます。

なぜ私が「尾道ラーメン」のルーツにこだわるのか

店主の住田は、家族で代々理容店を営んでおりました。子どもを5人(4男1女)授かり、幸せな日々を送っていました。しかしある日突然、はさみを持つ手が自由に動かなくなりました。診断の結果、国が難病指定する首の後縦靭帯骨化症だと判明しました。

その時、病気の不安より、これから先どうなるのか?という絶望と不安に押しつぶされそうになりました。手の自由が利かない状態で、刃物を扱う仕事はできません。お客様を傷つける事が怖くて、理容店を閉店しました。

それから、地獄の日々が始まりました。理容業しか知らない私に会社勤めの選択は無く、どうしようもない焦りと不安の中1年が過ぎました。やがて子ども達も、「あれ買って」「これ欲しい」「あれがしたい」など、子どもらしいおねだりも一切口にしなくなりました。そんな子ども達の気遣いが、私達夫婦にとってかえって辛く、寂しいことでした。

私は大のラーメン好きなので、「もし別の人生を歩むのなら、大好きなラーメンの店を開きたい!」とかねてから思い続けておりました。それで、今がまさにその時だと思い、最初に私が大好きで通っていたラーメン店社長に「味を指導してください」と直談判してみました。すると、「この人を頼ってみなさい」とある方を紹介していただました。

言われるがままにその方の元に出向き、必死にお願いしました。その結果、私の思いが通じ、ラーメンの基本から出店の準備まで、親身になって指導していただくことができました。更にそこで「尾道ラーメン」のルーツとなる大変貴重なレシピまで伝授していただき、おかげで無事出店することができました。私は本当に幸運でした。

私はこれまでに5人の弟子を育て、現在はホテル5社に尾道ラーメンのスープを提供し、某 有名お土産ラーメンの監修にも携わっております。「自分が戴いたご縁や幸運を、美味しい究極のラーメンを作ることでお返ししていきたい。」と日夜取り組んでおります。